将棋界と藤井聡太七冠から見える「デジタルネイティブ」と「デジタル技術の使い方」

将棋界と藤井聡太七冠から見える「デジタルネイティブ」と「デジタル技術の使い方」

デジタルネイティブという言葉は、ざっくりと「デジタル技術を当たり前のものと考えられる」といった性質を指して使われることがあります。代表的な用法には、1990年代~2000年代に生まれた世代を、幼少期からデジタル機器がある生活をしてきたことから「デジタルネイティブ世代」と呼ぶ例が挙げられます。近年、この世代が社会で活躍するようになったタイミングに合わせるように、社会全体のデジタル化という大きな流れが作られています。

この記事を執筆している2023年6月時点では、「デジタルネイティブ」の意味は大きく拡大しつつあります。この記事では、技術の進歩に合わせて変容を続ける「デジタルネイティブ」像の現状と、将来の展望について考察します。

ネイティブとは?

デジタルネイティブについて考える前に、ネイティブという言葉の意味を確認しましょう

ネイティブ=native とは、英語で天然の~、生来の~のような意味を持ちます。よく耳にするのは、ネイティブランゲージ(母国語)やネイティブスピーカー(ある言葉を母国語とする人)という用法です。

言語習得の態様は年齢によって異なり、幼少期における言語の習得と、大人になってからの言語の学習の違いは広く認識されています。幼少期から触れてきた母国語では、ほとんどの人が微妙なニュアンスに至るまでその言語を自由に扱えるようになります。一方で、大人になってからその言語を学び始めた場合、同じような水準に達するまでに多大な努力を必要とするだけでなく、感覚的な部分を完全に習得することは極めて困難です。

このように、人間の脳には知識や感覚を習得するためのゴールデンタイムが存在し、その時間で獲得した能力には、大人になってからでは獲得することが難しい性質を含むと考えられています。

従来のデジタルネイティブ世代のイメージ

1990年代~2000年代初め頃には、家庭用PCとインターネットの普及が進みました。この時代にはPCの操作性の向上が進み、特別な知識が無くてもデジタルデータを取り扱うことが可能になりました。この時代のデジタル技術の中心は、情報の電子的記録とテキストベースのコミュニケーションで、デジタル文書を電子メールなどよって遠隔地の相手に瞬時に伝達する機会が増えました。

2000年代後半以降は、動画配信サイトやマルチメディアファイルを取り扱えるSNSの発展と、デジタルカメラ機能が付いたスマートフォンなどのデバイスの発達が相まって、デジタルデータを用いたコミュニケーションが爆発的に拡大しました。

これらの時代に教育を受けた世代は、PCやスマートフォンを難なく使いこなし、新たに開発されたデジタル技術やサービスの利用にも積極的です。結果として、デジタルを活用して効率的、効果的に仕事を進めるスキルが高い傾向にあります。

AI時代のデジタルネイティブ

従来から情報の記録や通信など、人間の行動を効率化するために使われる機会が多かったデジタル技術は、現在、人間の判断を高度化するために使われ始めています。この原動力になっているのはAIやデータ分析のような、複雑な状況に対してある種の判断を提示する仕組みです。

単純な計算能力(スピード、正確性)では人間はコンピューターに太刀打ちできないため、数値の集計や比較にデジタル技術を使うのは当然のことになっています。そこから一歩進んで、近年のAIやデータ分析は人間が判断の過程を定式化できない、直感のような領域で驚くような情報を提供してくれることがあります。

このような時代におけるデジタルネイティブとは、単にデジタル機器を使いこなし、デジタル技術を積極的に取り入れるマインドを持つだけにはとどまらない可能性があります。

具体的には、AIやデータ分析によって得られる情報を前提として、人間の判断能力の限界を拡張していくスキルを習得することが考えられます。

人間の脳の情報処理能力には限界があり、科学的トレーニングを積んだとしても、コンピューターのようにはできません。しかし、人間の脳の長所、短所と、AIやデータ分析の長所、短所を理解していれば、それらの弱点を補いつつ長所を生かした高度な判断に期待できます。

デジタル技術による高度化の例

ここまでの内容について、なんとなくイメージは分かるものの、具体的にビジネスに落とし込むのは難しいと感じるかもしれません。そこでこの記事では、プロセスとその結果の関係が比較的分かりやすい将棋を例に解説します。デジタル技術の活用法だけでなく、デジタル技術を取り入れる段階で人間が直面する葛藤のようなものも参考になると思います。

情報のデジタル化による効率化の段階

将棋には長年にわたる研鑚の歴史があり、江戸時代には幕府の保護下で専業の将棋指しを中心とした研究と競争の仕組みが出来上がっていました。大正から昭和にかけて将棋指しの団体が作られ始め、現在まで続くプロの将棋指しの形が出来上がります。

この間、偉大な先人達の創意工夫によって将棋のレベルは高められてきていましたが、1990年頃に大きな転換点を迎えることになります。

この中心になったのが、後に国民栄誉賞も受賞することになる羽生善治さんら、当時20歳ぐらいの若手棋士達でした。それまでのプロ棋士には勝負師や芸術家に近い気風が強く残っていましたが、当時の若手棋士らは徹底した事前研究による緻密な戦術を次々と導入し、棋界を席捲することになります。

この時力を発揮したのが、当時まだ珍しかったコンピューターを使った研究法です。プロ同士の対局の内容(棋譜)は紙に記録されて保管されており、紙媒体の資料を収集、整理する手間が研究の効率を制限してしまっていました。

そこで、棋譜をデジタル化したものをフロッピーディスクなどの記録媒体に集約管理することで、効率的かつ体系的な研究が可能になりました。若い世代の研究量を活かした将棋は、当時のベテラン棋士からパソコン将棋やコピー将棋と呼ばれることもあったようです。

この段階では、デジタル技術が効率化のために使われており、あくまで人間の判断材料を効果的に提示する機能に重点が置かれています。

この傾向に変化が出るのは将棋AIが人間を超える2010年代中頃に入ってからです。羽生さん達の世代は1990年頃から20年以上将棋界のほとんどのタイトル戦(大会のようなもの)で支配的な成績を残していましたが、2010年代中頃から世代交代が急速に進んだことも印象的です。

AIが人間を超えた2010年代以降の段階

2000年代中頃には、相当な実力をもった将棋AIが誕生し始めています。現在ではAIが人間を凌駕することは不思議なことではないと認識されていますが、当時、人間の知性の到達点のようなプロ棋士がAIに負けることは、プロ棋士の存在価値を脅かすのではないかという危惧もあったようです。2007年にトッププロが対戦して以降、公の場でプロ棋士が将棋AIと対戦する機会は制限されていました。

その間も将棋AIは進化を続け、2010年頃には女流棋士(いわゆるプロ棋士とは異なる制度)や引退棋士との対局で勝利を収めています。

2013年に行われた第2回将棋電王戦では、ついに現役のプロ棋士と将棋AIの真剣勝負が実現します。この大会は5対5の団体戦方式で行われ、結果はプロ棋士から見て1勝1分け3敗というものでした。

トッププロを含むプロ棋士が将棋AIに敗れたことは大きなニュースとして取り上げられましたが、一方で将棋AIの弱点や欠点も現れた大会で、人間に優位な点があることも再認識されました。

その後もプロ棋士と将棋AIの対戦は続けられ、2017年には当時プロ棋士の頂点に立つ「名人」でもあった佐藤天彦叡王と将棋AIとの対戦で一旦終止符が打たれることになります。この時点では、将棋AIの優位は間違いないと考えられていましたが、人間のトップが公の場でAIに敗北するという象徴的な出来事になりました。

この時代になると、プロ棋士とデジタル技術の付き合い方にも大きな変化が生じます。強力なAIはスパーリングパートナーとして活用されるだけでなく、人間の発想や研究をサポートする役割を担い始めたのです。人間が疑問に思ったポイントでAIの考えを参照し、それをさらなる深い思考の呼び水とすることができ、従来の常識にとらわれない新しい発想に基づく戦術が生み出されていきます。

ちなみに、現在将棋界で圧倒的な戦績を挙げている藤井聡太さん(2002年生まれ)は、日々の研究にAIを活用していることが知られています。もちろん他のプロ棋士もAIを研究に取り入れていますが、将棋はあまりに可能性が広いためAIを用いた事前研究でも全ての局面に対する解答を準備することはできません。最も若い世代のプロ棋士であり、将棋の感覚を養う期間に強力なAIが存在していた藤井さんは、他の棋士に比べてAIが提供してくれる情報を、自らの能力として取り込む能力が高い可能性があります。結果として、単なる解答の丸暗記とは次元の異なる成果を手に入れ、未知の局面に対しても正しい判断ができるのではないでしょうか。

急速に発展するデジタル技術への戸惑い

将棋は明確な結果が突き付けられるゲームであるため、優れた方法の導入が進みやすい傾向があります。しかし、それでも新しい技術に対して人間が見せた葛藤は、ビジネスにAIやデータ分析を取り入れる際にも参考にできそうです。

人間の経験や知識に対する自負

初期段階ではパソコンなんかに負けない、といった自負心が現れます。これは時に、デジタル技術を使う方法やその方法を採用する人を軽く見る、といった行動として現れることがあります。

新しい技術に対する恐れ

デジタル技術やAI、データ分析による成果が客観的に期待できる状況になると、自分の存在意義が否定されるのではないか、という恐れが生じることもあります。この感覚は、新しい技術をフラットな視点で評価することを難しくしてしまいます。

ある種の諦めと積極的な活用

現代において、車より早く走れないことを恥じる人は(おそらく)いないでしょう。ある課題に対して、優れたテクノロジーが良いソリューションを提供することは当たり前のことです。そのテクノロジーの存在を前提として、人間自身の能力を最大限発揮する方法を確立できれば、かつてない大きな成果につながる可能性もあります。

これからのデジタルネイティブ

ここまで解説したように、現代のデジタル技術は単に効率化を図るためのものにとどまらず、人間には難しいような判断も提供する存在になりつつあります。一般的に、この判断は絶対に正しいものではなく誤謬や限界を含むものですが、それでも適切に活用すれば人間の判断力を拡充することはできるかもしれません。

新しいテクノロジーが人間の役割を変化させてしまうことを恐れず、あらたな成長の可能性としてとらえることができる人材こそ、これからの時代のデジタルネイティブと言えるでしょう。また、メタ的な視点にはなりますが、数年単位で大きく進化するデジタル技術と上手く付き合うためには、常に考え方の枠組みを自由に組み立てなおす能力も重要かもしれません。

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